6月24日(日)
梅雨の最中、日帰りバスツアーで、4月28日より公開された炭鉱王、伊藤伝右衛門邸を訪ねました。近くの駐車場でバスを降りる頃は都合よく雨が止みました。傘を片手に邸まで歩いて行くこと5分、立派な長屋門の前に出ました。右の門柱には外務大臣、麻生太郎氏の揮毫による「旧伊藤伝右衛門邸」の真新しい表札が掲げてありました。
伊藤邸の長屋門はもともと福岡市天神の福岡別邸「あかがね御殿」にあったもので、昭和2年7月に別邸が漏電により消失、焼け残った門だけをこの幸袋の本邸に移築したのだそうです。
伊藤伝右衛門邸の概要は説明パンフレットによると、敷地面積:約2300坪 建坪:約300坪 四つの居住棟、三つの土蔵があり、石造の太鼓橋のかかる池を配した広大な回遊式庭園があります。屋敷は1897(明治30)年頃、当時の大炭鉱主であった伊藤伝右衛門によって建てられ、その後大正・昭和初期に数回の増改築がなされたと言います。
部屋数は全部で25。見所は応接間と二階にある歌人白蓮(伝右衛門の妻)の居室です。応接間には英国風のマントルピースがあり、窓にはドイツのステンドグラスがはめ込まれています。完全な洋間。見事なものでした。室内は撮影禁止なので特異な廊下、天井、欄間、和室、襖等を写真で紹介できないのが残念です。辛うじて廊下や縁側から撮った 手水鉢、塔、白蓮居室から窓越しに俯瞰した庭園の一部。および庭園からの家屋外観は下のスライドショーでご覧ください。
二階は20人ばかりしか入れないので順番待ちの行列。大分待たされて階段を登ると、白蓮さんの居室がありました。九畳と六畳の二間続きの和室。この部屋には誰も入れず、歌作りなどで過ごしたといいます。白蓮居室については詳しい描写があります。http://www.iizuka-cci.org/tiiki/kankou/itoutei/img/yomoyama5.jpg
伊藤伝右衛門は飯塚の石炭王、五十二歳のとき後添えに大正天皇の従兄妹に当たる柳原白蓮を娶ったことで知られています。十年同居後、白蓮は七歳年下の東大生、宮崎龍介と出会い、出奔するのですね、偶々当夜のラジオ深夜便で紹介されていました。インターネットで調べる中に更に詳しいことを知り己の無知を恥ずるばかりです。白蓮は情熱と浪漫の歌人、日本のノラであり、今日的に言えば「女性解放」の実践者、平和運動家でしょうか。 白蓮については
http://www.jtw.zaq.ne.jp/kamifu-sen/hito-byakuren.html
掛け軸には
秋のかぜ こよひのほそき 月かげも
愁いとならで 君にふけかし (柳原白蓮)
他の歌 若干紹介します。
ひるの夢あかつきの夢夜の夢さめての夢に命細りぬ
ともすれば死ぬことなどを言ひ給ふ恋もつ人のねたましきかな
女とて一度得たる憤り媚に黄金に代へらるべきか
あけぼのの茜のなかの白波よ筑紫の海よ若き日のいろ
わかき日のわが思い出のふる里よ夢もなみだもいまは恋しき
辞世の歌
そこひなき闇にかがやく星のごとわれの命をわがうちにみつ
スライドショー 「itoshouse640.wmv」をダウンロード
いれぶん
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