市原寬子先生探しの経緯
そもそも市原先生探しの発端は韓国シニアネット「元老坊」会員の
金基河さんが、昨年4月26日元老坊ホームページ内に新設された
Kjclub(日本語使用者の集まり)の掲示板に ”愛のBase Camp” という
詩を掲載され、その末尾に「この詩を作りながら、小学校三学年の時、
私の担任の先生 市原寬子先生 の恩恵を(思い)浮かべました」と書い
てあったのがキッカケです。
早速、私はこの詩に簡単にコメント申し上げて、文末に市原寬子先
生にお見せになったことがありますか?ご存命なら、もう大分お年で
しょうね。と付け加えたのです。
金基河さんのご返事には「私の拙作な作品をそれ程ほめられては恥
かしい。何としても尊敬している先生のご消息を知りたい。ぜひお会い
したい」とあり、先生の本籍、生年月日、履歴が記されていました。さら
に「先生は本当に私たちを愛してくれました。懐かしいです」と付記して
ありました。
本籍 熊本縣 熊本市 新屋敷傘八番丁 一二二番地
生日 大正10年 4月 1日(81才)
履歴 韓國 公州師範 修了
韓國 慶北道 英陽郡---英陽西部小學校 敎師
〔私 金基河 (松原永珏)の3學年の時 擔任 先生〕
1940年頃に結婚して日本に帰国。
本籍地をもとにFORWARDさんが早速市役所に電話して調べてくれま
した。(5月30日)熊本市の説明によるとこの新屋敷と言う地名は1966
年に新屋敷1丁目から4丁目に変更になって、1966年時点では8番地と
言うのも122番地と言うのも別々にあり、八丁目122番地と言う地名は
無かった。それ以前の古い地名は記録が残っていないとのことでした。
一方私も熊本市の新屋敷にある小学校は白川小学校一校であるこ
とを確かめ、池部教頭先生に卒業名簿等残っていないか調べて貰い
ました。結局空襲でこの一帯は焼失しており何も残っていないとのご
返事でした。ただ当時住んでいた方とか、PTA、自治会等を通じて調べ
て見ましょうとの誠意ある約束を戴きました。
甲斐 幹 会長も熊本出身でいらっしゃるのでさっそく調べて戴いたら
しく、お電話を戴きました。なんと子供の頃新屋敷傘八番丁122番地の
すぐ近く(傘七番丁172番地)に住んでおられ、白川小学校の卒業生だ
ったのです。傘はカラカサと読むのだと教わり、吃驚するやら、不思議
なご縁に絶句しました。それに小学校時代のご友人が、たしかに市原
という方が住んでおられた記憶があると明言されたということでした。
一番の問題は市原姓が旧姓なのか、ご結婚後の姓なのかということ
でした。この段階では多分旧姓だろうということで、取り敢えず池部先
生に市内電話帳から市原姓の電話番号をファックスしてもらい、
FORWARDさん、せっしんさんと3名で手分けして片っ端から電話しまし
たが、実りある情報は得られませんでした。
同時に熊本に住む元勤務会社の先輩、後輩や、小学校から大学ま
での友人、知人、すべてを通じて調査・協力を依頼しました。結婚後日
本へ帰国ということですが、熊本へ引きあげられたとは限りません。郷
里の鹿児島にも調査の手を広げましたが、手がかりは掴めませんでし
た。
6月5日「韓日シニアネット交流会」に参加し、金基河さんと直接会って
金さんの市原先生に対する思慕、尊敬、謝恩のお気持ちの強さに触
れ必ず探しますと約束した手前、帰国後も何か他に良い方法はないか
と思案しました。
6月8日、FORWARDさんが、インターネット検索し、熊本日日新聞の
社会部宛に市原先生探しのお願いをしたとメールしてくれました。あと
でわかったことですが、取り上げてくれなかったようです。私も親戚、知
人を通じ、熊本日日新聞社の上層部のコネ探しをやりましたが、うまく
行きません。時間がどんどん過ぎていきます。
六月下旬になると、金基河さんの6年の時の担任、前野茂実先生の
消息探しも始まりました。鹿児島の知覧町にお住まいということが分か
りましたので、FORWARDさんと私で調査してこちらは比較的簡単に分
かりましたが、残念ながらすでにお亡くなりになっていました。お子様達
が関東にお住みというところまで分かり、金基河さんの追悼文をご長
男にファックスでお送りしました。(6月30日) 終戦時の世情混沌の中、
日本に引き揚げる前野先生お家族を生徒さんたちが護衛して無事に
船着場まで送り届けたという美談を聞き、メロウ会員全員、痛く感動し
ました。
7月3日、意を決して資料を用意して熊本日日新聞社を訪ねました。
紹介状もなく飛び入りで、受付け嬢に社会部記者との面会を求めたと
ころ、田口貴一郎氏が熱心かつ真剣に聞いてくれて、調査の上記事と
して載せてくれるとの約束を得ました。
7月、8月はメロウ倶楽部・福岡の会員も増え、スキルアップ勉強会な
どで多忙を極めました。2ヶ月半経っても何にも連絡がないので、田口
記者に電話したところ社内連絡がうまく行っていなかったらしく、今度は
間違いなく夕刊に記事を載せるという確約を得ました。(9月18日)そし
て遂にその日が来ました。
9月26日、熊本日日新聞の夕刊に市原先生を探しているとの記事が
掲載、配達されました。それを見て光州師範の後輩、椎葉玲子様とお
っしゃる方から、私に直接お電話があり、市原先生(結婚されて今は中
山寬子先生)に間違いないと思うと、先生の住所、電話番号を教えてく
ださいました。突然の連絡で舞い上がってしまいました。5時半過ぎだ
ったでしょうか、中山先生に電話を入れ、ご本人であることを確かめ、
一部始終をお話もうしあげました。大変に喜ばれました。
また、市原(中山)先生発見の速報をさっそく金基河さんにメールでお
知らせすると同時に手紙を出しました。以下、転載します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
金基河さん、こんにちは
喜んでください。市原寛子先生が見つかりました。
今日の熊本日日新聞の夕刊に金基河さんが市原先生を探していると
いう記事が掲載され、2,3時間の中に通報先の私に公州女子師範学
校卒業の後輩の方から連絡がありました。
先生は結婚で姓が中山に変っておられますが、さっそくお電話したとこ
ろ、非常に元気なお声で話され、大層喜ばれました。ご住所と電話番
号はE-mailで金基河さんに送っておきました。(メールが着かないとき
はお問い合わせください。何回か成功していますから問題ないとは思
いますが・・)
金基河さん、随分とお待たせしましたね。でも、良かったですね。おめ
でとうございます。先生は背中が曲がり、もう旅行は出来ないと仰って
いましたが、それ以外は何も支障は感じられないほどのお元気なお話
し振りでした。
いれぶん(伊東)
6月30日に中山寬子先生にも下記の手紙をさしあげ、今までの先生
探しの経緯と金基河さんを紹介する資料をお送りしました。
中山寬子様
初めまして、先日お電話さし上げましたメロウ倶楽部(福岡)の伊東司
郞と申します。日本の高齢者団体、メロウ倶楽部と韓国の高齢者団
体、元老坊との交流が始まったのは、今年の六月からです。6月5日に
釜山で初めて公式の会談をいたしました。パソコンによるおしゃべり
(チャッティングと言います。)やホームページでのメール交換がスムー
スに行われるようになりました。
お互いメール(電子手紙)の交換所見たいな処で手紙をやり取りしてい
るうちに、今回の金基河さんが市原先生の消息を知りたいと申されま
したので、私どもがなんとかお探ししましょうとお約束しました。日本に
帰ってから熊本のご本籍の白川小学校や電話帳などで探しましが、ど
うしても手がかりが掴めません。遂に7月3日に熊本日日新聞社を訪問
し、「尋ね人」的な記事を掲載して貰えないかと社会部の田口貴一郎
記者にお願いした次第でした。
何時掲載ということは聞いておりませんでしたが、今月26日の夕刊に
出して頂いたらしく、夕方4時半頃だったでしょうか、椎葉玲子様から私
にお電話があり、今は中山さんですが、旧姓はたしか市原さんと思っ
たので、同窓会名簿を調べたら間違いないと思うと告げられたので
す。そうでしたか、とほんとに嬉しく、飛び上がって喜びました。先生に
お電話なさる前にまず私の方にお知らせがあり、確認されたのでした。
市原先生、金基河さまにさっそくメールでお知らせいたしました。直接
のメールは上手く届かなかったようですが、元老坊のホームページの
掲示板というところで、先生がお元気に熊本市にお住まいのことをお
伝えすることができました。大変喜んでおられます。住所、電話番号も
お知らせしましたので1週間以内にお手紙が先生のもとに寄せられる
ものと思います。
金基河さんはお会いした時はもとより、メールでも度々、先生のことを
お慕いしている、ほんとに優しくて、分け隔てなく、熱心に教えて戴いた
と、何べんも、何べんも繰り返し書いておられました。つまり、とっても
生徒を可愛がって戴いた、と。
最近の私の報告と金基河さんのメールを同封致します。また金基河さ
んのお写真や経歴も一緒に入れておきます。写真は私どもが釜山に
行って会議終了後に懇親会の場で撮ったものです。
市原先生、韓国の当時の生徒さんから絶対の信頼を寄せられ、金基
河さんのように60数年間も先生の安否を気遣っておられた生徒さんが
居られたという事、(また先生のことを聖職にある方のようだったという
表現をなさっていました)ほんとに私も頭が下がる思いを致しました。
私も日本人として先生を誇りに思います。有難うございました。先生が
お許しくださるなら、近い中にぜひお訪ね申し上げたいと存じます。
これまでの手紙のやり取りや、金基河さんの「詩」などもお目にかけた
いと思っています。先生にぜひ見ていただきたいと言われていましたか
ら。
椎葉さまにもくれぐれもお礼を申し上げてくださいと、金基河さんから頼
まれています。機会がございましたら先生からもよろしくお伝えください
ますようお願い申し上げます。
平成13年9月30日
いれぶん(伊東)
(※この記事作成日 2002年2月23日)
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


最近のコメント