2007.03.02

千の風になって

昨年の秋からこの詩と歌が好きになった。
一般の人に比べて何と遅い出会いだろう。
しかし嵌りようは決して引けは取らない。
詠み人知らずの大本はケルト系の民族に由来するらしい。

A THOUSAND WINDS

Do not stand at my grave and weep,
I am not there, I do not sleep.

I am a thousand winds that blow;
I am the diamond glints on snow,
I am the sunlight on ripened grain;
I am the gentle autumn's rain.

When you awake in the morning bush,
I am the swift uplifting rush
Of quiet in circled flight.
I am the soft star that shines at night.

Do not stand at my grave and cry.
I am not there; I did not die.

之に対する新井満さんの訳詞がまた素晴しい。

千の風になって

【作詞】不詳
【訳詞】新井満
【作曲】新井満

私のお墓の前で
泣かないでください
そこに私はいません
眠ってなんかいません

千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹き渡っています

秋には光になって
畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように
きらめく雪になる
朝は鳥になって
あなたを目覚めさせる
夜は星になって
あなたを見守る

私のお墓の前で
泣かないでください
そこに私はいません
死んでなんかいません

千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹き渡っています

千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹き渡っています

あの大きな空を
吹き渡っています

CD付き新井満氏の詩文本「千の風になって」は
今は私の宝物である。
新井満氏およびNHK紅白で歌った
秋川雅史の歌唱は何れも好きだ。
ただなぞって歌うには新井満氏の方が良い。

死=生 死後はこんな姿で ありたい。
生者もかく死者を 見て欲しい。
全部宇宙に生きているのだ。悲しむことはない。

Photo_1


 千の風吹きて横たふ冬銀河  泊舟

 千の風口遊みつつ年の垢   泊舟

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2006.07.05

ジョン・レノンのイマジン

IMAGINE John Lennon

Imagine there's no heaven
It's easy if you try
No hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today....

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace....

You may say I'm a dreamar
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one

Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world....

You may say I'm a dreamar
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will live as one

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ジョン・レノンのこの詩は、いわゆる反戦詩であり、平和への希求を世界の人々の心に訴えたものです。早く好きな詩の一つに加えたいと思っていましたが、テポドン発射のニュースを聞いて遅ればせながらアップする次第です。北朝鮮などの国家およびテロ組織の指導者に猛省を促したい。訳詩についてはインターネットで検索してください。

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2004.09.30

金子みすずの詩

金子みすず(本名テル)さんは明治36年(1903)山口県大津郡仙崎村
(今の長門市)に生まれました。大正末期すぐれた作品を発表し、有名
な詩人西條八十に『若き童謡詩人の巨星』とまで称賛されました。しか
し、昭和5年26歳の若さでこの世を去りました。

私がはじめてこの詩人を知ったのは、昭和57,8年頃朝日新聞の記事
でした。お魚の詩だったと思います。なんとやさしい、思いやりの深い、
心の広い人だろうと感歎して読んだのを覚えています。みすずの詩は
500編を超えるそうですが、ここには12編ほど紹介します。


雀のかあさん

子供が
小雀
つかまえた。

その子の
かあさん笑つてた。

雀の
かあさん
それみてた。

お屋根で
鳴かずに
それ見てた。


積つた雪

上の雪
さむかろな。
つめたい月がさしてゐて。

下の雪
重かろな。
何百人ものせてゐて。

中の雪
さみしかろうな。
空も地面もみえないで。


大漁

朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰮の   (いわし)
大漁だ。

濱は祭りの
やうだけど
海のなかでは
何萬の
鰮のとむらひ
するだらう。


私の髪の

私の髪の光るのは、
いつも母さま、撫でるから。

私のお鼻の低いのは、
いつも私が鳴らすから。

わたしのエプロンの白いのは、
いつも母さま、洗ふから。

私のお色の黒いのは、
私が煎り豆たべるから。


波は子供、
手つないで、笑つて、
そろつて来るよ。

波は消しゴム、
砂の上の文字を、
みんな消してゆくよ。

波は兵士、
沖から寄せて、一ぺんに、
どどんと鉄砲うつよ。

波は忘れんぼ、
きれいなきれいな貝がらを、
砂の上においてくよ。


お魚

海の魚はかはいさう。

お米は人につくられる、
牛は牧場で飼はれてる、
鯉もお池で麩を貰ふ、

けれども海のお魚は
なんにも世話にならないし
いたづら一つしないのに
かうして私にたべられる。

ほんとに魚はかはいさう。


こっつん こっつん
ぶたれる土は
よいはたけになって
よい麦生むよ

朝からばんまで
ふまれる土は
よいみちになって
車を通すよ

ぶたれぬ土は
ふまれぬ土は
いらない土か

いえいえそれは
名のない草の
おやどをするよ


もくせい

もくせいのにおいが
庭いっぱい。

おもての風が、
ご門のところで、
はいろか、やめよか、
そうだんしてた。


みんなを好きに

私は好きになりたいな。
何でもかんでもみいんな。

葱も、トマトも、おさかなも、
残らず好きになりたいな。

うちのおかずは、みいんな、
母さまがおつくりなつたもの。

私は好きになりたいな。
誰でもかれでもみいんな。

お医者さんでも、烏でも、
残らず好きになりたいな。

世界のものはみィんな、
神さまがおつくりなつたもの。


わたしと小鳥とすずと

わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんなうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。


花さかじいさん、はいおくれ。
ざるにのこったはいおくれ、
わたしはいいことするんだよ。

さくら、もくれん、なし、すもも、
そんなものにはまきゃしない、
どうせ春にはさくんだよ。

一度もあかい花さかぬ、
つまらなそうな、森の木に、
はいのありたけまくんだよ。

もしもみごとにさいたなら、
どんなにその木はうれしかろ、
どんなにわたしもうれしかろ。


こぶとり-----おはなしのうたの一

正直じいさんこぶがなく、
なんだかさびしくなりました。
意地悪じいさんこぶがふえ、
毎日わいわいないてます。

正直じいさんお見舞だ、
わたしのこぶがついたとは、
やれやれ、ほんとにお気のどく、
も一度、一しょにまいりましょ。

山から出て来た二人づれ、
正直じいさんこぶ一つ、
意地悪じいさんこぶ一つ、
二人でにこにこわらってた。

参考文献:「中島潔が描く金子みすず」-まなざし、発行所:朝日新聞社
  〃 :金子みすず童話集1,2、著者:矢崎節夫、発行所;JULA出版局

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2004.08.30

三好達治詩集「花筐」他より

  かへる日もなき

かへる日もなきいにしへを
こはつゆ艸の花のいろ
はるかなるものみな青し
海の青はた空の青

  かよわい花

かよわい花です
もろげな花です
はかない花の命です
朝さく花の朝がほは
昼にはしぼんでしまひます
昼さく花の昼がほは
夕方しぼんでしまひます
夕方に咲く夕がほは
朝にはしぼんでしまひます
みんな短い命です
けれども時間を守ります
さうしてさつさと帰ります
どこかへ帰つてしまひます


  あはれしる

あはれしるをさなごころに
ありなしのゆめをかたりて
あまき香にさきし木蓮
その花の散りしわすれず


  わがわざは

わがわざは成りがたくして
こころざしほろびゆく日を
近江路に菜の花咲いて
かいつぶり浮き沈むかな


「故郷の花」から

  なれは旅人

されどなれは旅人
旅人よ
樹かげにいこへ
こはこれなれが国ならず
旅人よ
なべてのことをよそに見て
つめたき石にもいこへかし
まことになれが故郷はなほかなたに遠し
はるかなるその村ざとにかへりつくまでは
旅人よ
つつしみて言葉すくなく
信なきものの手なとりそ
ただかりそめのまこともて彼らが肩に手なおきそ
さみしき彼らが背を見るにも慣れてあれ  (そびら) 
されどなれは旅人
旅人よ
樹かげにいりて
つめたき石にもいこへかし

参考文献:「三好達治詩集」編者:河盛好蔵、新潮文庫

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2004.08.28

三好達治詩集「測量船」他から

  乳母車

母よ----
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり

時はたそがれ
母よ 私の乳母車を押せ
泣きぬれる夕陽にむかつて
轔々と私の乳母車を押せ     (りんりんと)

赤い総ある天鵞絨の帽子を   (ふさ)  (びろうど)
つめたき額にかむらせよ
旅いそぐ鳥の列にも
季節は空を渡るなり

淡くかなしきもののふる
紫陽花いろのもののふる道
母よ 私は知ってゐる
この道は遠く遠くはてしない道

  雪

太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ 次郎の屋根に雪ふりつむ。


「南窗集」より

  鹿

午前の森に 鹿が座つてゐる
その背中に その角の影
微風を間ぎつて 虻が一匹とんでくる
遥かなる谿川を聴いてゐる その耳もとに

  土

蟻が
蝶の羽をひいて行く
ああ
ヨットのように


「一点鐘」より

  この朝

この朝かの島かげの
さやかなる秋のきざしに
おどろくはなにのこころぞ

ゆける日を惜まんとして
盲人のおきなさびわれ     (めしうど)
ものの音に耳をかたむく

かのあした君がおん手に
むすばれてもてあそばれし
白砂をわれもむすべば

うみ鳥のはるかによばふ
こゑならぬその白砂の
わが手にはうたひそめにし


三好達治は明治33年(1900年)生れである。知っている詩は「雪」位
でした。今回詩集を読み直してみて、その新鮮さに驚いた次第です。

参考文献:「三好達治詩集」編者:河盛好蔵、発行所: ㈱新潮社

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2004.08.18

高村光太郎「道程」から

  道  程

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため        
この遠い道程のため


  冬が来る

冬が来る
寒い、鋭い、強い、透明な冬が来る

ほら、又ろろろんとひびいた
連発銃の音

鳴いても鳴いても張りがある
冷たい夜明けの霜のこころ

不思議な生をつくづくと考へれば
ふと角兵衛が逆立ちをする

私達の愛を愛といつてしまふのは止さう
も少し修道的で、も少し自由だ

冬が来る、冬が来る
魂をとどろかして、あの強い、鋭い、力の権化の冬が来る


  失われたるモナ・リザ

モナ・リザは歩み去れり
かの不思議なる微笑に銀の如き顫音を加へて   (せんおん)
「よき人になれかし」と
とほく、はかなく、かなしげに
また、凱旋の将軍の夫人の偸視の如き    (ぬすみみ)
冷ややかにしてあたたかなる
銀の如き顫音を加へて
しづやかに、つつましやかに
モナ・リザは歩み去れり

モナ・リザは歩み去れり
深く被はれたる煤色の仮漆こそ    (エルニ)
はれやかに解かれたれ
ながく画堂の壁に閉ぢれたる
額ぶちこそは除かれたれ
敬虔の涙をたたへて
画布にむかひたる    (トワアル) 
迷ひふかき裏切者の画家こそはかなしけれ
嗚呼、画家こそははかなけれ
モナ・リザは歩み去れり

モナ・リザは歩み去れり
心弱く、痛ましけれど
手に権謀の力つよき
昼みれば淡緑に
夜みれば真紅なる
かのアレキサンドルの青玉の如き     (せいぎよく)
モナ・リザは歩み去れり

モナ・リザは歩み去れり
我が魂を脅し
我が生の燃焼に油をそそぎし
モナ・リザの唇はなほ微笑せり
ねたましきかな
モナ・リザは涙をながさず
ただ東洋の真珠の如き
うるみある淡碧の歯をみせて微笑せり     (うすあお)
額ぶちを離れたる
モナ・リザは歩み去れり

モナ・リザは歩み去れり
かつてその不可思議に心をののき
逃亡を企てし我なれど
ああ、あやしきかな
歩み去るその後かげの慕わしさよ
幻の如く、又阿片を燔く烟の如く    (やく)  (けむり)
消えなば、いかに悲しからむ
ああ、記念すべき霜月の末の日よ
モナ・リザは歩み去れり

----------------------------------------------------------------------------
高村光太郎は1913年9月上高地滞在中智恵子と婚約、1914年12月に
結婚します。処女詩集「道程」出版(自費)は結婚の直前10月です。光
太郎の父は高村光雲。彫刻界の巨匠的存在。上野公園の西郷隆盛
の銅像は1892年、光雲の作です。詩「道程」は光太郎の父、光雲に対
する独立宣言であり、尊敬と感謝の意を表明したものと解されます。

参考文献:「高村光太郎詩集」ハルキ文庫、発行所:角川春樹事務所

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2004.08.17

高村光太郎「智恵子抄」より

  人に

いやなんです
あなたの行ってしまふのが・・・

花より先に実のなるやうな
種子より先に芽の出るやうな
夏から春のすぐ来るやうな
そんな理屈に合はない不自然を
どうかしないでゐて下さい
型のやうな旦那さまと
まるい字をかくそのあなたと
かう考へてさへなぜか私は泣かれます
小鳥のやうに臆病で
大風のやうにわがままな
あなたがお嫁にゆくなんて
いやなんです
あなたの行ってしまふのが・・・

なぜさうたやすく
さあ何といいませう・・・まあ言はば
その身を売る氣になれるんでせう
あなたはその身を売るんです
一人の世界から
万人の世界へ
そして男に負けて
ああ何といふ醜悪事でせう
まるでさう
チシアンの描いた絵が
鶴巻町へ買物に出るのです
私は淋しい かなしい
何といふ氣はないけれど
ちやうどあなたの下すつた
あのグロキシニアの
大きな花の腐つてゆくのを見る様な
空を旅してゆく鳥の
ゆくへをぢつとみてゐる様な
浪の砕けるあの悲しい自棄のこころ
はかない 淋しい 焼けつく様な
----それでも恋とはちがひます
サンタマリア
ちがひます ちがひます
何がどうとはもとより知らねど
いやなんです
あなたのいつてしまふのが----
おまけにお嫁にゆくなんて
よその男のこころのままになるなんて


  あどけない話

智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ、
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。


レモン哀歌

そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして  (さんてん)
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
-----------------------------------------------------------------------------
高村光太郎。教科書にも出てくる詩人ですね。彫刻家としても有名で
す。「智恵子抄」から三編、「道程」から三編選んで紹介します。彼の詩
はすんなりと心に沁みてくる「口語、自由詩」といわれています。たたみ
かけるリズムを伴っている、新しい詩形の一つです。1913年(大正2年)
9月、上高地滞在中智恵子と会い婚約。1914年12月結婚。1931年夏
頃から智恵子の精神が病み始めるのです。(下記「詩集」の文末、瀬
尾育生氏の解説および略年譜を参照してください。)

「明治三十八年から四年間、光太郎は欧米で暮らし、詩と彫刻の真実
に開眼し、帰国後新しい芸術を生むために活動を始める。明治という
時代閉塞の中で人間としていかに生きるか。光太郎は、「人間として生
きたい」という願いをもって模索し、闘い、詩をつくる。そして智恵子に
出会うことによって、さらに豊穣な芸術を生み出すこととなる。太平洋
戦争の時期、光太郎は、戦いの義を信じ、結果として戦争に手を貸す
ことになってしまった。戦後、光太郎は、岩手の寒村で、独居生活をし
ながら自己を摘発し、「暗愚小伝」を書く。以下略」
( http://souzou.nakayosi.jp/20takamurakoutaro.htm から引用)

参考文献:「高村光太郎詩集」ハルキ文庫、発行所:角川春樹事務所

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2004.08.10

佐藤春夫詩集「わが1922年」より

秋刀魚の歌

あはれ
秋かぜよ
情あらば伝へてよ     (こころ)

--- 男ありて
夕餉に ひとり
秋刀魚を食らひて
思ひにふける と。

さんま、さんま
さんま苦いか塩つぱいか

--- 男ありて
夕餉に ひとり
秋刀魚を食らひて
涙を流す と。


佐藤春夫の「秋刀魚の歌」を初めて読んだのは教科書だったと思いま
すが、記憶にあるのは上のようなものでした。秋風が立つて秋刀魚が
店に出る頃になると、貧乏なやもめ男が道端に七輪を持ち出して団扇
をパタパタやりながら秋刀魚を焼いている哀れな姿を思い出したもの
です。ところが下記佐藤春夫詩集、西脇順三郎編、西垣脩氏の解説に
よると「谷崎は夫人千代子と春夫の結ばれることをいったん認めなが
ら、また意をひるがえし、千代子も子供の幸せのために谷崎のもとへ
戻った。そのため春夫は谷崎と交わりを絶ったわけだが、その後の日
々の孤愁と慕情を嘆じたのがこの詩である」。実はこんな背景があっ
たのですね。はじめて知りました。では、あらためて原詩のすべてを紹
介しましょう。


あはれ
秋かぜよ
情あらば伝へてよ     (こころ)
--- 男ありて
夕餉に ひとり
秋刀魚を食らひて
思ひにふける と。

さんま、さんま、
そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせ   (す)
秋刀魚を食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみなつかしみて 女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉に向かひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸をくれむと言ふにあらずや。 (わた)

あはれ
秋かぜよ
汝こそは見つらめ        (なれ)
世のつねならぬかの団欒を。     (まどゐ)
いかに
秋かぜよ
いとせめて
証せよ、かの一ときの団欒ゆめに非ず と。  (あかし)

あはれ
秋かぜよ
情あらば伝へてよ、     (こころ)
夫に去られざりし妻と
愛を失はざりし幼児とに   (おさなご)
伝へてよ
--- 男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食らひて
涙を ながすと。

さんま、さんま、
さんま苦いか塩つぱいか
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。

参考文献: 佐藤春夫詩集、西脇順三郎編、発行所: ㈱白鳳社

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2004.08.07

佐藤春夫「殉情詩集」より

  ためいき

    一

紀の国の五月なかばは
椎の木のくらき下かげ
うす濁るながれのほとり
野うばらの花のひとむれ
人知れず白くさくなり、
佇みてものおもふ目に
小さなるなみだもろげの
素直なる花をし見れば 恋人の
ためいきを聞くここちするかな。


    二

柳の芽はやはらかく吐息して
丈高くわかき梧桐はうれひたり
杉は暗くして消しがたき憂愁を秘め
椿の葉日の光にはげしくすすり泣く


    三

ふといづこよりともなく君が声す。
百合の花の匂ひのごとく君が声す。


    四

なげきつつ黄昏の山をのぼりき。
なげきつつ山に立ちにき。
なげきつつ山をくだりき。


    五

蜜柑ばたけに来てみれば
か弱き枝の夏蜜柑
たのしげに
大いなる実を支へたり。
われもささへん
たへがたき重き愁ひを
わが恋の実を。


    六

ふるさとの柑子の山をあゆめども    (かうじ)
癒えぬなげきは誰がたまひけむ。


    七

遠く離れてまた得難き人を思ふ日にありて
われは心からなるまことの愛を学び得たり
そは求むるところなき愛なり
そは信ふかき少女の願ふことなき日も
聖母マリアの像の前に指を組む心なり。


    八

死なんといふにあらねども
涙流れてやみがたく
ひとり出て佇みぬ
海の明けがた海の暮れがた
----ただ青くとほきあたりは
たとふればふるき思ひ出
波よする近きなぎさは
けふの日のわれのこころぞ。


参考文献:佐藤春夫詩集、西脇順三郎編、発行所:㈱白鳳社

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2004.08.03

山頭火20句

分け入っても分け入っても青い山

生死の中の雪ふりしきる

まっすぐな道でさみしい

どうしようもない私が歩いてゐる

うしろすがたのしぐれてゆくか

もう明けさうな窓あけて青葉

よい宿でどちらも山で前は酒場で

てふてふもつれつつかげひなた

春風の扉ひらけば南無阿弥陀仏

洗へば大根いよいよ白し

泊まることにしてふるさとの葱坊主
 
朝のひかりへ蒔いておいて旅立つ

どこからともなく雲が出て来て秋の雲

春の山からころころ石ころ

雪をよろこぶ児らにふる雪うつくしき

鉄柵の中コスモス咲きみちて揺る

しぐるるや石をきざんで仏となす

山なつかしきかな石切る音のをりをり

家を出づれば冬木しんしんとならびたり

雷とどろくやふくいくとして花のましろく

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2004.07.30

中原中也詩集「在りし日の歌」から

  骨

ホラホラ、これが僕の骨だ。
生きていた時の苦労にみちた
あの汚らわしい肉を破って、
白々と雨に洗はれ
ヌツクと出た、骨の尖。      (さき)

それは光沢もない、
ただいたずらにしらじらと、
雨を吸収する、
風に吹かれる、
幾分空を反映する。

生きていた時に
これが食堂の雑踏の中に、
座ってゐたこともある、
みつばのおしたしを食ったこともある、
と思へばなんとも可笑しい。

ホラホラ、これが僕の骨-----
見てゐるのは僕? 可笑しなことだ。
霊魂はあとに残って、
また骨の処にやって来て、
見てゐるのかしら。

ふるさとの小川のへりに
半ばは枯れた草の中に立って
見てゐるのは、---僕?
恰度立て札ほどの高さに、      (ちょうど)
骨はしらじらととんがってゐる。


  一つのメルヘン

秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。

陽といつても、まるで珪石か何かのやうで、
非常な固体の粉末のやうで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててゐるのでした。

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐて、くつきりとした
影を落としてゐるのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今まで流れてもゐなかつた川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました-----


  月夜の浜辺

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて役立てようと
僕は思つたわけでもないが
    月に向かつてそれは抛れず      (ほうれず)
    浪に向かつてそれは抛れず
僕は、それを袂に入れた

月夜の晩に、拾つたボタンは
指先に沁み、心に沁みた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?

参考文献:中原中也詩集、河徹達太郎編、発行所:㈱角川文庫

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2004.07.22

中原中也/山羊の歌より

  帰 郷

柱も庭も乾いてゐる
今日は好い天気だ
    縁の下では蜘蛛の巣が
    心細さうに揺れてゐる

山では枯木も息を吐く
あゝ今日は好い天気だ
    路傍の草影が           (ろばた)
    あどけない愁みをする      (かなしみ)

これが私の古里だ
さやかに風も吹いてゐる
    心置なく泣かれよと
    年増婦の低い声もする     (としま)

あゝ おまへはなにをして来たのだと-----
吹き来る風が私に云ふ


  少年時

黝い石に夏の日が照りつけ、     (あをぐろい)
庭の地面が、朱色に眠ってゐた。

地平の果に蒸気が立って、
世の滅ぶ、兆のやうだった。

麦田には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だった。

翔びゆく雲の落とす影のやうに、
田の面を過ぎる、昔の巨人の姿-----

夏の日の午過ぎ時刻          (ひる)
誰彼の午睡するとき、         (ひるね)
私は野原を走っていった-----

私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦めてゐた-----
噫、生きてゐた。私は生きてゐた!


汚れつちまつた悲しみに

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革袋
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
懈怠のうちに死を夢む       (けだい)

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる-----

参考文献:「中原中也詩集」河上徹太郎編:発行所:角川文庫

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2004.07.20

北原白秋/童謡選(10曲)

   雨

雨がふります、雨がふる。
遊びに行きたし、傘はなし。
紅緒のかっこも、緒が切れた。

雨がふります、雨がふる。
いやでもお家で遊びませう。
千代紙折りませう、疊みませう。

雨がふります、雨がふる。
けんけん小雉子が今啼いた。
小雉子も寒かろ、寂しかろ。

雨がふります、雨がふる。
お人形寢かせどまだ止まぬ。
お線香花火も、みな焚いた。

雨がふります、雨がふる。
晝もふるふる、夜もふる。
雨がふります、雨がふる。


  雨ふり

雨 雨 ふれ ふれ かあさんが
じゃの目でおむかえ うれしいな
ピッチピッチ チャプチャプ ランランラン
 
かけましょ かばんを かあさんの
あとから行こ行こ 鐘がなる
ピッチピッチ チャプチャプ ランランラン
 
あら あら あの子は ずぶぬれだ
柳の根かたで 泣いている
ピッチピッチ チャプチャプ ランランラン
 
かあさん ぼくのを 貸しましょか
君 君 このかさ さしたまえ
ピッチピッチ チャプチャプ ランランラン
 
ぼくなら いいんだ かあさんの
大きなじゃの目に 入ってく
ピッチピッチ チャプチャプ ランランラン


   あわて床屋

春は 早うから 川辺の葦に
蟹が 店出し 床屋でござる
チョッキン  チョッキン  チョッキンナ
 
小蟹 ぶつぶつ 石鹸(シャボン)を とかし
おやじ 自慢で 鋏を 鳴らす
チョッキン  チョッキン  チョッキンナ

そこへ 兎が お客に ござる
どうぞ いそいで 髪 刈って おくれ
チョッキン  チョッキン  チョッキンナ

兎ア 気がせく 蟹ア あわてる
早く早くと 客ア つめこむし
チョッキン  チョッキン  チョッキンナ

じゃまなお耳は ぴょこぴょこするし
そこであわてて チョンと切りおとす
チョッキン  チョッキン  チョッキンナ

兎ア おこるし 蟹ア 恥ヨ かくし
しかた なくなく 穴へと 逃げる
チョッキン  チョッキン  チョッキンナ

しかた なくなく 穴へと 逃げる
チョッキン  チョッキン  チョッキンナ


  ゆりかご

ゆりかごの うたを
カナリヤが 歌うよ
ねんねこ ねんねこ
ねんねこよ

ゆりかごの うえに
びわの実が ゆれるよ
ねんねこ ねんねこ
ねんねこよ

ゆりかごの つなを
木ねずみが ゆするよ
ねんねこ ねんねこ
ねんねこよ

ゆりかごの 夢に
黄色い月が かかるよ
ねんねこ ねんねこ
ねんねこよ


  赤い鳥小鳥

赤い鳥、小鳥、なぜなぜ赤い。赤い實をたべた。
白い鳥、小鳥、なぜなぜ白い。白い實をたべた。
青い鳥、小鳥、なぜなぜ青い。青い實をたべた。


   待ちぼうけ

待ちぼうけ 待ちぼうけ ある日 せっせと 野良かせぎ
そこへ兎が 飛んで出て ころりころげた 木のねっこ

待ちぼうけ 待ちぼうけ しめた これから寝て待とか
待てば獲ものは 駆けて来る 兎ぶつかれ 木のねっこ

待ちぼうけ 待ちぼうけ 昨日鍬とり 畑仕事
今日は頬づえ 日向ぼこ うまい伐り株 木のねっこ

待ちぼうけ 待ちぼうけ 今日は 今日はで 待ちぼうけ
明日は 明日はで 森のそと 兎待ち待ち 木のねっこ

待ちぼうけ 待ちぼうけ もとは涼しい 黍畑
いまは荒野の 箒草 寒い北風 木のねっこ


 「ちんちん千鳥」

ちんちん千鳥の 啼く夜さは
啼く夜さは
硝子戸しめても まだ寒い
まだ寒い

ちんちん千鳥の 啼く声は
啼く声は
燈を消しても まだ消えぬ
まだ消えぬ

ちんちん千鳥は 親ないか
夜風に吹かれて 川の上
川の上

ちんちん千鳥よ お寝(よ)らぬか
夜明の明星が 早や白む


  この道

この道はいつか来た道
ああ そうだよ
あかしやの花が咲いてる

あの丘はいつか見た丘
ああ そうだよ
ほら 白い時計台だよ

この道はいつか来た道
ああ そうだよ
お母さまと馬車で行ったよ

あの雲もいつか見た雲
ああ そうだよ
山査子(さんざし)の枝も垂(た)れてる


  からたちの花

からたちの花が咲いたよ
白い白い花が咲いたよ。

からたちのとげはいたちよ。
青い青い針のとげだよ。

からたちは畑の垣根よ。
いつもいつもとほる道だよ。

からたちも秋はみのるよ。
まろいまろい金のたまだよ。

からたちのそばで泣いたよ。
みんなみんなやさしかつたよ。


 「ペチカ」

雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ お話しましょ
昔むかしよ 燃えろよペチカ

雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ おもては寒い
栗や栗やと 呼びますペチカ

雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ じき春来ます
いまにやなぎも もえましょペチカ

雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ だれだか来ます
お客さまでしょ うれしいペチカ

雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ お話しましょ
火の粉パチパチ はねろよペチカ

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2004.07.16

北原白秋/水墨集+帰去来

  落 葉 松

   一

からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。

   ニ

からまつの林を出でて、
からまつの林に入りぬ。
からまつの林に入りて、
また細く道はつづけり。

   三

からまつの林の奥も、
わが通る道はありけり。
霧雨のかかる道なり。
山風のかよふ道なり。

   四

からまつの林の道は、
われのみか、ひともかよひぬ。
ほそぼそと通ふ道なり。
さびさびといそぐ道なり。

   五

からまつの林を過ぎて、
ゆゑしらず歩みひそめつ。
からまつはさびしかりけり、
からまつとささやきにけり。

   六

からまつの林を出でて、
浅間嶺にけぶり立つ見つ。     (あさまね)
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
からまつのまたそのうへに。

   七

からまつの林の雨は、
さびしけどいよよしづけし。
かんこ鳥鳴けるのみなる。
からまつの濡るるのみなる。

   八

世の中よ、あはれなりけり。
常なれどうれしかりけり。
山川に山がはの音
からまつにからまつのかぜ。


   雪 後

安らかな雪の明かりではないか、
ようも晴れた蒼穹である。      (あおぞら)
ほう、なんといふかはいらしさだ、
あの白い綿帽子をいただいた一つ一つの墓石は。

樋の上の雀よ、あの隣の閑けさをご覧、
海近いあの丘の陽だまりに、早や、
栗も梅も雪をふかぶかとかむったまま、
しかも耀く縁から雫してゐる。

なんだかいい知らせでも来そうな気がする。
かうした眺めの朝は、
藍紫に凪ぎ沈んだ海、あの遠くに
正しい潮の調律もととのってきた。

安らかだ、まことによう晴れた空だ。
ほら、山鳩が来た、何の木か揺すってゐる。
雀よ、さあ出て揺すったがよい。
幽かな雪煙ならかへって親しい。

すべては耀いてゐる、
よい歓びにある。
すべては単純だ、雪と光だ。-----
幼い木魚が鳴りはじめた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
         帰去来

山門は我が産土、雲騰る南風のまほら、飛ばまし、今一度。

筑紫よかく呼ばへば、恋ほしよ潮の落差、火照沁む夕日の潟。

盲ふるに、早やもこの眼、見ざらむ、また葦かび、籠飼や水かげろふ。

帰らなむ、いざ鵲、かの空や櫨のたむろ、待つらむぞ今一度。

故郷やそのかの子ら、皆老いて遠きに、何ぞ寄る童ごころ。
-----------------------------------------------------------------------------
山門柳河は私の故郷、雲は湧き騰り南風がここちよく吹くまほろばの
地。あぁ、もう一度だけでいい、あの地へ飛んで帰りたい。

筑紫よ、お前の名を呼べば、干満の差が激しい海を思い浮かべるの
だ。夕映えの中に光るあの有明の海が恋しい。

私の目は冒され水辺に揺れる葦や、籠飼や、そして水かげろうももう
見ることはできない。それでもいい。さぁ、帰ろう。

鵲が空に舞い、そして櫨の木が待っているあの地へ。 帰りたくても帰
れなかった柳河へ、今一度帰ろう。

その頃一緒に遊んだ子たちも老いてしまった。遠い故郷に子どものよ
うにこんなに思いをはせるのはどうしたわけであろうか。
-----------------------------------------------------------------------------
※この詩は白秋が亡くなる前年の昭和16年、最後の帰柳の折に詠ま
れた「望郷詩」である。故郷への思慕が痛いほど込められています。

参照 :柳川市観光協会 http://www.yypaso.com/hakushuu/

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2004.07.15

北原白秋/白金乃独楽

  白金ノ独楽

感涙ナガレ、身ハ仏、
独楽ハ廻レリ、指尖ニ。     (ゆびさき)

カガヤク指ハ天ヲ指シ、
極マル独楽ハ目ニ見エズ。

円転、無念無想界、
白金ノ独楽音モ澄ミワタル。


  掌          

光リカガヤク掌に         (てのひら)
金ノ仏ゾオハスナレ。

光リカガヤク掌に
ハット思ヘバ仏ナシ。

光リカガヤク掌ヲ
ウチカヘシテゾ日モスガラ。


 薔薇二曲

  一

薔薇ノ木ニ
薔薇ノ花サク。

ナニゴトノ不思議ナケレド。

  二
 
薔薇ノ花。
ナニゴトノ不思議ナケレド。

照リ極マレバ木ヨリコボルル。
光リコボルル。


  野 晒

死ナムトスレバイヨイヨニ
命恋シクナリニケリ

人妻ユエニヒトノミチ
汚シハテタルワレナレバ、
トメテトマラヌ煩悩ノ
罪ノヤミヂニフミマヨウ。


 苦シケレバコソ

苦シケレバコソ神ニ縋レ、
恋シケレバコソ人ニ縋レ。

キリギリス草ニ縋ルハ、
金色ノ露ノメグミニ。


  幻 滅

真ト見シハ影ナリキ、
鏡の中の曼珠沙華、
現身ナガラ夢ナリキ、
昼ナリケレド夜ナリキ。


詩集『白金乃独楽』は、大正三年十二月『印度更紗』の第二輯として刊
行された。白秋はこの年二月妻俊子の病気療養のため小笠原の父島
へ渡り孤独と赤貧の中で光明讃仰の心を詩歌に専念してこれらの作を
得た。白秋はこの詩集の奥書に「白秋三日三夜法悦カギリナク、タダ
麗(ウラ)ウラトシテ霊(タマシイ)ハ十方法界ニ游ブ。飯モ乳モ咽喉ニ通
ラズ、悦シキカ、苦シキカ、タダ悶々ナリ」と記している。(下記P179下段
注より引用)これらの詩はあまり人の目に触れていないようですので、
あえて紹介させて頂きます。

参考文献 : 「日本の詩集」9 北原白秋 発行所 : 中央公論社

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2004.07.14

北原白秋/思ひ出

  青いソフトに

青いソフトに降る雪は
過ぎしその手か、ささやきか、
酒か、薄荷か、いつのまに
消ゆる涙か、なつかしや。


  怪しき思

われは探しぬ、色黒き天鵞絨の蝶、         (びろうど)
日ごと夜ごとに針を執り、テレピンを執り       (とり)
かくて殺しぬ、突き刺しぬ、ちぎり、なすりぬ。
鬼百合の赤き花粉を嗅ぐときは、
ひとり呪ひぬ、引き裂きぬ、噛みぬ、にじりぬ。
金文字の古き洋書の鞣皮。              (なめし)
ああ、それすらも黒猫に爪をかかしぬ。

われは愛しぬ、くるしみぬ・・・顫へ、おそれぬ。   (ふる)
怪しさは蝋のほのほの泣くごとく、
青き蝮のふたつなき触角のごと、            (まむし)
われとわが身をひきつつみ、かつ、かきむしる。
うつくしき少年のえもわかぬ性の憂鬱。


  水 路

ほうつほうつと蛍が飛ぶ・・・・・
しとやかな柳河の水路を、
定紋つけた古い提灯が、ぼんやりと      (ぢやうもん)
その船の芝居もどりの家族を眠らす。

ほうつほうつと蛍が飛ぶ・・・・・
あるかない月の夜に鳴く虫のこゑ、
向ひあった白壁の薄あかりに、
何かしら燐のやうなおそれがむせぶ。

ほうつほうつと蛍が飛ぶ・・・・・
草のにほひする低い土橋を、
いくつか棹をかがめて通りすぎ、        (さお)
ひそひそと話してる町の方へ。

ほうつほうつと蛍が飛ぶ・・・・・
とある家のひたひたと光る汲水場に      (くみば)
ほんのり立った女の素肌
何を見てゐるのか、ふけた夜のこころに。


  紺屋のおろく

にくいあん畜生は紺屋のおろく、
猫を擁へて夕日の浜を          (かかえて)
知らぬ顔して、しゃなしゃなと。

にくいあん畜生は筑前しぼり、
華奢な指さき濃青に染めて、       (こあお)
金の指輪もちらちらと。

にくいあん畜生が薄情な眼つき、
馬の前掛、毛繻子か、セルか、      (けしゅす)
博多帯しめ、からころと。

にくいあん畜生と、擁へた猫と、
赤い入日にふとつまされtれて、
潟に陥って死ねばよい。ホンニ、ホンニ・・・・


参考文献 :「日本の詩集」 北原白秋 発行所 :中央公論社

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2004.07.13

北原白秋/邪宗門

  WHISKY

夕暮のものあかき空、
その空に百舌鳥啼きしきる。      (もず)
Whiskyの罎の列              (びん)
冷ややかに拭く少女、    (をとめ)
見よ、あかき夕暮の空、
その空に百舌鳥啼きしきる。


  空に真赤な

空に真赤な雲のいろ
坡璃に真っ赤な酒の色。     (はり)
なんでこの身が悲しかろ。
空に真赤な雲のいろ


  謀反 (むほん)   

ひと日、わが精舎の庭に、            (しょうじゃ)
晩秋の静かなる落日のなかに、          (いりひ)
あはれ、また、薄黄なる噴水の吐息のなかに、  (ふきあげ)
いとほのにヴィオロンの、その弦の、   (いと)
その夢の、哀愁の、いとほのにうれひ泣く。    (かなしみ)

蝋の火と懺悔のくゆり
ほのぼのと、廊いづる白き衣は
夕暮に言もなき修道女の長き一列。     (しうだうめ)
さあれ、いま、ヴィオロンの、くるしみの、
刺すがごと火の酒の、その弦のいたみ泣く。  (いと)

またあれば落日の色に、    (いりひ)
夢燃ゆる噴水の吐息のなかに、
さらになほ歌もなき白鳥の愁のもとに、
いと強き硝薬の、黒き火の、      (せうやく)
地の底の導火燬き、ヴィオロンぞ狂ひ泣く。   (みちびやき)

跳リ来る車両の響、              (をどり)
毒の弾丸、地の烟、閃く刃、           (たま)  (けむり)
あはれ、驚破、火とならむ、噴水も、精舎も、空も。     (すは)
紅の、戦慄の、その極の   (わななき)  (はての)
瞬間の、叫喚燬き、ヴィオロンぞ、盲ひたる。 (たまゆら)  (さけび)


  ほのかにひとつ

罌栗ひらく、ほのかにひとつ、    (けし)
また、ひとつ ・・・

やはらかき麦生のなかに、     (むぎふ)
軟風のゆらゆるそのに。       (なよかぜ)

薄き日の暮るとしもなく、
月しろの顫ふゆめぢを 、     (ふるふ)

縺れ入るピアノの吐息       (もつれ)
ゆふぐれになぞも泣かるる。

さあれ、またほのに生れゆく
色あかきなやみのほめき。

やはらかき麦生の靄に、、
軟風のゆらゆる胸に、

罌栗ひらく、ほのかにひとつ、
また、ひとつ ・・・


北原白秋は1909年象徴詩の流れをくむ詩集《邪宗門》を、1911年には
少年の日の哀歓をうたった抒情小曲集《思ひ出》を出し、名声を得た。
のち《水墨集》では東洋的枯淡の境地をひらいた。

参考文献:「日本の詩集」北原白秋 発行所:中央公論社

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2004.07.07

遊びをせんとや生れけん

     『梁塵秘抄』

遊びをせんとや生れけん、戯れせんとや生れけん  (たわぶれ)
遊ぶ子供の声きけば、我が身さへこそ動がるれ   (ゆるがる)

舞へ舞へ蝸牛、舞はぬものならば、馬の子や牛の子に蹴させてん
踏破せてん、真に美しく舞うたらば、華の園まで遊ばせん (ふみわら)

恋しとよ君恋しとよ床しとよ、逢はばや見ばや見ばや見えばや

仏は常にいませども、現ならぬぞあはれなる、 (うつつ)
人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見え給ふ


梁塵秘抄 (りょうじんひしょう) とは

平安後期の今様(いまよう)歌謡集。撰者は後白河法皇。成立年代未
詳。歌詞集・口伝集各10巻があったと推定されるが、歌詞集の巻1の
断簡と巻2、口伝集の巻1の断簡と巻10のみが現存する。歌詞は、長
歌(ながうた)、古柳(こやなぎ),今様、法文(ほうもん)歌、四句の神
歌、二句の神歌などがあり、口伝集には撰述の事情などが記してあ
る。平安末期の庶民感覚が生き生きと表現されており、文学史・音楽
史のみならず風俗・思想史上にも重要な資料である。
                       (百科事典、マイペディア)

兼好法師も徒然草(第14段)で、梁塵秘抄に言及して褒めていますね。
梁塵秘抄の郢曲(えいきょく、謡い物)の言葉こそ、また、あはれなる事
は多かんめれ。昔の人はたヾいかに言ひ捨てたることぐさも、みないみ
じく聞ゆるにや。 ※あはれなる事 → しみじみと心を打つこと。

参考文献:「声に出して読みたい日本語2」 著者:斉藤孝
                               発行所:草思社

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2004.06.25

石川啄木「悲しき玩具」

呼吸すれば、          (いき)
胸の中にて鳴れる音あり。
 凩よりもさびしきその音!    (こがらし)


途中にてふと気が変り、
つとめ先を休みて、今日も
河岸をさまよへり。


旅を思ふ夫の心!
叱り、泣く、妻子の心!
朝の食事!


なつかしき冬の朝かな。
湯を飲めば、
湯気がやはらかに、顔にかかれり。


何となく、
今朝は少しわが心明るきごとし。
手の爪を切る。


すっきりと酔ひのさめたる心地よさよ!
夜中に起きて、
墨を磨るかな。


手も足もはなればなれにあるごとき
ものうき寝覚!
かなしき寝覚!


何となく、
今年はよい事あるごとし。
元日の朝晴れて風無し。


人がみな
同じ方角に向いて行く。
それを横より見てゐる心。


何となく明日はよき事あるごとく
思ふ心を
叱りて眠る。


おれが若しこの新聞の主宰ならば
やらむ----と思ひし
いろいろの事!


あやまちて茶碗をこはし、
物をこはす気持ちのよさを
今朝も思へる。


ふくれたる腹を撫でつつ、
病院の寝台に、ひとり、
かなしみてあり。


ぼんやりとした悲しみが、
夜ともなれば、
寝台の上にそつと来て乗る。


氷嚢の下より
まなこを光らせて
 寝られぬ夜は人をにくめる。


運命の来て乗れるかと
 うたがひぬ---
蒲団の重き夜半の寝覚めに。


硬く握るだけの力も無くなりし
やせし我が手の
 いとほしきかな。


新しきからだを欲しと思ひけり、
 手術の傷の
 痕を撫でつつ。


新しきインクの匂ひ、
目に沁むもかなしや。
 いつか庭の青めり。


縁先にまくら出させて、
 ひさしぶりに、
 ゆふべの空にしたしめるかな。


庭のそとを白き犬ゆけり。
 ふりむきて、
 犬を飼はむと妻にはかれる。


参考文献:「石川啄木詩歌集」著者石川啄木 発行所:金園社

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2004.06.24

石川啄木「一握の砂」 (2)

  ・ 煙


己が名をほのかに呼びて
涙せし
十四の春にかへる術なし


不来方のお城の草に寝ころびて    (こずかた)
空に吸はれし
十五の心


城址の
石に腰掛け
禁制の木の実をひとり味ひしかな


神ありと言ひ張る友を
説きふせし
かの路傍の栗の樹の下   (みちばた)


人ごみの中をわけ来る
わが友の
むかしながらの太き杖かな


その昔秀才の名の高かりし
友牢にあり
秋のかぜ吹く


糸切れし紙鳶のごとくに    (たこ)
若き日のこころかろくも
とびさりしかな


ふるさとの訛なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆく


わかれをれば妹いとしも
赤き緒の
下駄など欲しとわめく子なりし


飴売のチャルメラ聴けば
うしなひし
をさなき心ひろへるごとし


かにかくに渋民村は恋しかり
おもひでの山
おもひでの川


ふるさとを出で来し子等の
相会ひて
よろこびにまさるかなしみはなし


石をもて追はるるごとく
ふるさとを出でしかなしみ
消ゆる時なし


やはらかに柳あをめる
北上の岸辺目に見ゆ
泣けとごとくに


小学の主席を我と争ひし
友のいとなむ
木賃宿かな


宗次郎に
おかねが泣きて口説き居り
大根の花白きゆふぐれ


馬鈴薯のうす紫の花に降る
雨を思へり
都の雨に


わがために
なやめる魂をしづめよと
讃美歌うたふ人ありしかな


汽車の窓
はるかに北のふるさとの山見えくれば
襟を正すも


ふるさとに入りて先づ心傷むかな
道広くなり
橋もあたらし


ふるさとの山に向かひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな


 ・ 秋風のこころよさに


ふるさとの空遠みかも
高き屋にひとりのぼりて
愁ひて下る


愁ひ来て
丘にのぼれば
名も知らぬ鳥啄めり赤き茨の実    (ばら)


ふるさとの寺の御廊に
踏みにける
小櫛の蝶を夢にみしかな


われ餓ゑてある日に
細き尾を掉りて           (ふり)
餓ゑて我を見る犬の面よし


岩手山
秋はふもとの三方の
野に満つる虫を何と聴くらん


森の奥
遠きひびきす
木のうろに臼ひく侏儒の国にかも来し


うらがなしき
夜の物の音洩れ来るを
拾ふがごとくさまよひ行きぬ


参考文献:「石川啄木詩歌集」著者石川啄木 発行所:金園社

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2004.06.21

石川啄木「一握の砂」

 ・ 我を愛する歌

東海の小島の磯の白砂に
われなきぬれて
人とたはむる


頬につたふ
なみだのごはず
一握の砂を示しし人をわすれず


砂山の砂に腹這ひ
初恋の
いたみに遠くおもひ出づる日


いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指のあひだより落つ


灯影なき室に我あり
父と母
壁の中より杖つきて出づ


たはむれに母を背負ひて
そのあまり軽きに泣きて
三歩あゆまず


こころよく
我にはたらく仕事あれ
それを仕遂げて死なむと思ふ


浅草の夜のにぎはいに
まぎれ入り
まぎれ出で来しさびしき心


草に寝て
おもふことなし
わが額に糞して鳥は空に遊べり   (ぬか)


「さばかりの事に死するや」
「さばかりの事に生くるや」
止せ止せ問答


まれにある
この平なる心には
時計の鳴るもおもしろく聴く


何となく汽車に乗りたく思ひしのみ
汽車を下りしに
ゆくところなし


やはらかに積れる雪に
熱てる頬を埋むるごとき
恋してみたし


手が白く
且つ大なりき
非凡なる人といはるる男に会ひしに


こころよく
人を讃めてみたくなりにけり
利己の心に倦めるさびしさ


非凡なる人のごとくにふるまへる
後のさびしさは
何にかたとへむ


こころよき疲れなるかな
息もつかず
仕事をしたる後のこの疲れ


つかれたる牛のよだれは
たらたらと
千万年も尽きざるごとし


はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり  (くらし)
ぢつと手を見る


水晶の玉をよろこびもてあそぶ
わがこの心
何の心ぞ


大いなる水晶の玉を
ひとつ欲し
それにむかひて物を思はむ


友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ


いらだてる心よ汝はかなしかり
いざいざ
すこし欠伸などせむ


やとばかり
桂首相に手とられて夢みて覚めぬ
秋の夜の二時


参考文献:「石川啄木詩歌集」著者石川啄木 発行所:金園社

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2004.06.18

宮澤賢治「春と修羅」

 青い槍の葉             宮澤賢治

   (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
雲は来るくる南の地平
そらのエレキを寄せてくる
鳥はなく啼く青木のほずゑ
くもにやなぎのかくこどり
   (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
雲がちぎれて日ざしが降れば
黄金の幻燈 草の青          (キン)         
気圏日本のひるまの底の
どろにならべるくさの列
   (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
雲はくるくる日は銀の盤
エレキづくりのかはやなぎ
風が通ればさえ冴え鳴らし
馬もはねれば黒びかり
   (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
雲が切れたかまた日がそそぐ
土のスープと草の列
黒くをどりはひるまの燈籠
泥の澱みのその底に
   (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
りんと立て立て青い槍の葉
たれを刺そうの槍ぢやなし
ひかりの底でいちにち日がな
泥にならべるくさの列
   (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
雲がちぎれてまた夜があけて
そらは黄水晶ひでりあめ        (シトリン)
風に霧ふくぶりきのやなぎ
くもにしらしらそのやなぎ
   (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
りんと立て立て青い槍の葉
そらはエレキのしろい網
かげとひかりの六月の底
気圏日本の青野原
   (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)


「雨ニモマケズ」 (「手帳」より11月3日)    宮澤賢治

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ          (イカラズ)
イツモシヅカニ笑ッテヰル
一日に玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイイトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

参考文献:現代日本文学全集24 高村光太郎・萩原朔太郎・宮沢賢治
集、発行所:筑摩書房

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2004.06.15

萩原朔太郎「定本青猫」

  青猫            萩原朔太郎

この美しい都会を愛するのはよいことだ
この美しい都会の建築を愛するのはよいことだ
すべてのやさしい娘等をもとめるために
この都にきて賑やかな街路を通るはよいことだ
街路にそうて立つ桜の並木
そこにも無数の雀がさへづつてゐるではないか。
ああ このおほきな都会の夜にねむれるものは
ただ一匹の青い猫のかげだ
かなしい人間の歴史を語る猫のかげだ
われらの求めてやまざる幸福の青い影だ
いかならん影をもとめて
みぞれふる日にもわれは東京を恋しと思ひしに
そこの裏町の壁にさむくもたれてゐる
このひとのごとき乞食はなにの夢を夢みて居るのか


  風船乗りの夢         萩原朔太郎

夏草のしげる叢から               (くさむら)
ふはりふはりと天上さして昇りゆく風船よ
籠には旧暦の暦をのせ
はるか地球の子午線を越えて吹かれ行かうよ。
ばうばうとした虚無の中を
雲はさびしげにながれて行き
草地も見えず 記憶の時計もぜんまいが止まつてしまつた。
どこをめあてに翔けるのだらう!
さうして酒瓶の底は空しくなり
酔ひどれの見る美麗な幻覚も消えてしまつた。  (まぼろし)
しだいに下界の陸地をはなれ
愁ひや雲やに吹き流されて
知覚もおよばぬ真空圏内へまぎれ行かうよ。
この瓦斯體もてふくらんだ気球のやうに
ふしぎにさびしい宇宙のはてを
友だちもなく ふはりふはりと昇つて行かうよ。


 佛の見たる幻想の世界       萩原朔太郎

花やかな月夜である
しんめんたる常磐木の重なりあふところで
ひきさりまたよせかへす美しい涙をみるところで
かのなつかしい宗教の夢はむすばれる。
げにそのひとの心をながれるひとつの愛憐
そのひとの瞳孔にうつる不死の幻想      (ひとみ)
あかるくてらされ
またさびしく消えさりゆく夢想の幸福と、その怪しげな
るかげかたち。
ああ そのひとについて思ふことは
そのひとの見たる幻想の国をかんずることは
どんなにさびしい生活の日暮れを色づくことぞ
いま疲れてながく孤独の椅子に眠るとき
わたしの家の窓にも月かげさし
月は花やかに空にのぼってゐる。
佛よ
わたしは愛する おんみの見たる幻想の蓮の花弁を
青ざめたるいのちに咲ける病熱の花の香気を
佛よ
あまりに花やかにして孤独なる。

参考文献:現代日本文学全集24 高村光太郎・萩原朔太郎・宮沢賢治
集、発行所:筑摩書房

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2004.06.14

萩原朔太郎「月に吠える」

    竹                萩原朔太郎

ますぐなるもの地面に生え、
するどき青きもの地面に生え、
凍れる冬をつらぬきて、
そのみどり葉光る朝の空路に、
なみだたれ、
なみだをたれ、
いまはや懺悔をはれる肩の上より、
けぶれる竹の根はひろごり、
するどき青きもの地面に生え。

   竹

光る地面に竹が生え、
青竹が生え、
地下には竹の根が生え、
根がしだいにほそらみ、
根の先より繊毛が生え、
かすかにけぶる繊毛が生え、
かすかにふるえ。

かたき地面に竹が生え、
地上にするどく竹が生え、
まつしぐらに竹が生え、
凍れる節節りんりんと、
青空のもとに竹が生え、
竹、竹、竹が生え。


   亀                萩原朔太郎

林あり、
沼あり、
蒼天あり、
ひとの手にはおもみを感じ
しずかに純金の亀ねむる。
この光る、
寂しき自然のいたみにたへ、
ひとの心霊にまさぐりしずむ、     (こころ)
亀は蒼天のふかみにしづむ。

参考文献:現代日本文学全集24 高村光太郎・萩原朔太郎・宮沢賢治
集、発行所:筑摩書房

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2004.06.12

島崎藤村「若菜集」

      若菜集               島崎藤村


   こころなきうたのしらべは
   ひとふさのぶだうのごとし
   なさけあるてにもつまれて
   あたゝかきさけとなるらむ

   ぶだうだなふかくかゝれる
   むらさきのそれにあらねど
   こころあるひとのなさけに
   かげにおくふさのみつよつ

   そはうたのわかきゆゑなり
   あぢはひもいろもあさくて
   おほかたはかみてすつべき
   うたゝねのゆめのそらごと


 旧制中学の三年のときだったかと思います。国語のN教諭からこの
 「巻頭詩」ともいうべき詩を教わった時、ひらがなだけの美しい5・7の
 リズムと調べに日本語の真髄に触れた思いでした。大げさに言えば、
 日本文学や詩への開眼とも言うべき感動を覚えたのです。好きな詩
 は沢山ありますが、ここではひとつだけ、「初戀」を掲げます。


       初 戀

   まだあげ初めし前髪の
   林檎のもとに見えしとき
   前にさしたる花櫛の
   花ある君と思ひけり

   やさしく白き手をのべて
   林檎をわれにあたへしは
   薄紅の秋の實に
   人こひ初めしはじめなり

   わがこころなきためいきの
   その髪の毛にかゝるとき
   たのしき戀の盃を
   君が情けに酌みしかな

   林檎畠の樹の下に
   おのづからなる細道は
   誰が踏みそめしかたみぞと
   問ひたまふこそこひしけれ


参考文献:現代日本文学全集8 「島崎藤村集」 発行所:筑摩書房

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2004.06.10

永井荷風「珊瑚集」

  そぞろあるき           アルチュール・ランボオ
                      訳 詩 : 永 井  荷 風


蒼き夏の夜や
麦の香に酔ひ野草を踏みて
小みちを行かば
心はゆめみ、我足さはやかに
わがあらはなる額、
吹く風に湯浴みすべし。
われ語らず、われ思はず、
われただ限りなき愛
魂の底に湧出づるを覚ゆべし。
宿なき人の如く
いや遠く歩まん。
恋人と行く如く心うれしく
「自然」と共にわれは歩まん。


  ましろの月             ポオル・ヴェルレヱン
                      訳 詩:永 井 荷 風


ましろの月は
森にかがやく。
枝々のささやく声は
繁みのかげに
ああ、愛するものよといふ。

底なき鏡の
池水に
影いと暗き水柳。
その柳には風が泣く。
いざや夢見ん、二人して。

やさしくも、果し知られぬ
しづけさは、
月の光の色に浸む
夜の空より落ちかゝる。

あゝ、うつくしの夜や。


  四 月               ギュスタアヴ・カン
                     訳詩:永井 荷風


あゝ花開くうつくしき四月よ。
されど若し我が恋人われより遠く、
北の国なる霧の中にあらば、
何かせん、四月の新しき歌。
四月の白きリラの花。野ばらの花も、
梢を縫ひて黄金と開く四月の日光も。   (ひかげ)

あゝ花開くうつくしき四月よ。
わが恋人にまた逢ふ事の嬉しきかな。
あゝ花開くうつくしき四月よ。
恋人来れり。
四月のリラの花、黄金なす四月の日光。   (ひかげ)
始めてわれを慰めん。われ四月に謝す。
あゝ花開くうつくしき四月よ。

アルチュール・ランボオの「そぞろあるき」について、他の訳者のもっと
現代風の訳詩があったのですが、忘れました。どなたかご存知なら教
えてください。

参考文献:現代日本文学全集93 「現代訳詩集」永井荷風
                      「珊瑚集」発行所:筑摩書房

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2004.06.08

堀口大学「月下の一群」 (4)

   ミラボー橋            ギヨール・アポリネール
                      訳 詩 : 堀 口 大 学


ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ
   われらの恋が流れる
  私は思い出す
悩みの後には楽しみが来ると

    日も暮れよ 鐘も鳴れ
    月日は流れ わたしは残る

手と手をつなぎ顔と顔を向け合ほう
    かうしてゐると
    われらの腕の橋の下を
疲れた無窮の時が流れる

    日も暮れよ 鐘も鳴れ
    月日は流れ わたしは残る

流れる水のやうに恋も死んでゆく
    恋もまた死んでゆく
  生命ばかりが長く
希望ばかりが大きい

    日も暮れよ 鐘も鳴れ
    月日は流れ わたしは残る

日が去り月が行き
    過ぎた時も
  昔の恋もふたたびは帰らない
ミラボー橋の下をセーヌ河が流れる

    日も暮れよ 鐘も鳴れ
    月日は流れ わたしは残る


   雪                 ルミ・ド・グールモン
                      訳詩:堀 口 大 学


シモーン、雪はお前の襟足のやうに白い、
シモーン、雪はお前の膝のやうに白い。

シモーン、お前の手は雪のやうに冷たい。 
シモーン、お前の心は雪のやうに冷たい。

雪を溶かすには火の接吻、    (くちづけ)
お前の心を解くには、別れの接吻。

雪はさびしげに、松の枝の上、
お前のひたひはさびしげに、黒かみのかげ。

シモーン、お前の妹、雪は庭に眠つてゐる、
シモーン、お前は私の雪、さうして私の恋人。

参考文献:現代日本文学全集93 「現代訳詩集」堀口大学
                    「月下の一群」 発行所:筑摩書房

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2004.06.05

堀口大学「月下の一群」(3)

戀はパリの色             ジュール・ロマン
                      訳詩:堀口大学

   一

戀はパリの色
そこはかとうれしきほのほ
道のかみ手に生る。

底深き青空に
ささげられたる街燈の灯、
灰色の霧にかこまれし
黄金いろの火とやいはまし  (キン)

いささかはうれしきほのほ。

戀はパリの色。

   二

さかんなりける青空の
のこれるは唯に灰と壁のみか?
おお とらえがたき夕ぐれよ、
されども窓の硝子
汝のために わななく空の泉となり
涸れしにはあらぬ泉となり

空の色しばらくは、
心にせまる青、

戀はパリの色。

   三

影はおりて来てもよい。
街も魂も用意が出来てゐる。

さはれ君の目
近く来て見入らねば
われ見知るを得まい。

今はもう夜であれば
君はややにうつ向き給ふべし。
わが肩にうなだれ給ふべし、
戀はパリの色。


  シャボン玉              ジャン・コクトー
                      訳詩:堀口大学

シャボン玉の中へは
庭は入れません
まはりをくるくる廻ってゐます


  耳                  ジャン・コクトー
                      訳詩:堀口大学

私の耳は貝のから
海の響きをなつかしむ


最後のコクトーの詩「耳」は、訳ではたった二行ですが、
最初にこの詩に触れた時、はっとしたのを覚えています。
子供の頃海岸で貝殻を拾って遊んだ時のことを懐かしく思い出した
のです。貝殻と耳の形の類似性のみならず、人間そのものの誕生が、
海に起源をもつこと、生物のふるさとが海であることをたった二行で詠
ったものだからでしょうね。

参考文献:現代日本文学全集93 「現代訳詩集」堀口大学
                    「月下の一群」 発行所:筑摩書房

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2004.06.03

堀口大学「月下の一群」(2)

   秋の歌               ポール・ヴェルレーヌ
                       訳 詩: 堀 口 大 学

秋風の
ヴィオロンの
節ながき啜泣     (すすりなき)
もの憂き哀しみに
わが魂を痛ましむ。

時の鐘
鳴りも出づれば
せつなくも胸せまり
思ひぞ出づる
来し方に
涙は湧く。

落葉ならね
身をば遣る   (やる)
われも、
かなたこなた
吹きまくれ
逆風よ。    (さかかぜ)


  雨の巷に              ポール・ヴェルレーヌ
                      訳 詩: 堀 口 大 学

雨の巷に降る如く
われの心に涙降る。
かくも心に滲み入る。
この悲しみは何ならん? 

やるせなの心のためには
おお、雨の歌よ!
やさしき雨の音は
地上にも、屋上にも!

消えも入りなん心の奥に
故なきに雨は涙す。
何事ぞ!裏切りもなきに非ずや。
この喪その故の知られず。

故知れぬかなしみぞ
實にこよなくも堪へがたし。  (げに)
戀もなく恨みもなきに
わが心かくもかなし。


  暗く果なき死のねむり       ポール・ヴェルレーヌ
                       訳 詩: 堀 口 大 学

暗く果なき死のねむり
われの生命に落ちきたる、   (いのち)
ねむれ、わが希望、      (のぞみ)
ねむれ、わが慾よ!

わが目はやものを見ず。
善悪の記憶
われを去る・・・、
悲しき人の世の果や!

われはいま墓穴の底にありて
隻手に揺らるる            (せきしゅ)
揺籃なり、
ああ、黙せかし、黙せかし!


「秋の風」お気づきでしょう。上田敏の訳詩「落葉」の原詩と同じでしょう
ね。堀口大学のが原詩に忠実なのでしょうか。古川さんにお聞きした
いものです。

参考文献:現代日本文学全集93 「現代訳詩集」堀口大学
                    「月下の一群」 発行所:筑摩書房

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2004.05.31

堀口大学「月下の一群」(1)

   蜂                    ポール・ヴァレリイ
                         訳詩: 堀口 大学

褐色の蜂よ、汝が針
かくも鋭く、かくも毒あるも
わが胸の美しき花籠を
われに思ひのダンテルをもて被ひたるのみ。

その上に「戀」の来てまた眠る
美しき瓢に似たる乳房をば刺せよ、蜂 (ヒサゴ)
かくて紅のわれをして、いささかは、
圓みある反きがちなる肉の面に滲ましめよ! (ソムキ)

われは速なる苦痛を希ふ
あらはに激しき痛み
汝知らぬ悩みよりは耐へやすし!

わが感覚よ、痛ましきこの金色の針により
汝目さめてあれ、これなくば
戀は死に、戀は眠らんに!


  失われた美酒              ポール・ヴァレリイ
                         訳詩: 堀口 大学

一日われ海を旅して
(いづこの窓の下なりけん。今は覚えず)
美酒少し海へ流しぬ
「虚無」に捧ぐる供物にと。

おお酒よ、誰が汝が消失を欲したる?
或るはわれ易占に従ひたるか?
或るはまた酒流しつつ血を思ふ
わが胸の秘密のためにせしなるか?

つかのまは薔薇いろの煙たちしが
たちまち常の如すきとほり
清らかに海はのこりぬ・・・・。

この酒を空しと云ふや?・・・・彼は酔ひたり!
われは見き潮風のうちにさかまく
いと深きものの姿を!

参考文献:現代日本文学全集93 「現代訳詩集」堀口大学
                  「月下の一群」 発行所:筑摩書房

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2004.05.30

上田敏「海潮音」(2)

   春の朝            ロバート・ブラウニング
                    訳詩: 上  田   敏

時は春、
日は朝、       (アシタ)
朝は七時、      (アシタ)
片岡に露みちて、
揚雲雀なのりいで、
蝸牛枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事もなし。


  海のあなたの          テオドル・オオバネル
                     訳詩:上  田   敏

海のあなたの遥けき国へ
いつも夢路の波枕、
波の枕のなくなくぞ、
こがれ憧れわたるかな、
海のあなたの遥けき国へ。


  篠 懸(スズカケ)       ガブリエレ・ダンヌチオ
                    訳詩: 上  田    敏

白波の、潮騒のおきつ貝なす
青緑しげれる谿を
まさかりの真昼ぞ知す。    (シロス)
われは昔の野山の精を
まなびて、ここに宿からむ。
あゝ、神寂びし篠懸よ、     (スズカケ)
なれがにほひの濡髪に。

参考文献:現代日本文学全集93 「現代訳詩集」上田 敏 「海潮音」

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2004.05.26

上田敏「海潮音」(1)

   燕の歌            ガブリエレ・ダンヌンチオ
                    訳詩: 上 田    敏

弥生ついたち、はつ燕、
海のあなたの静けき国の
便りもてきぬ、うれしき文を。
春のはつ花、にほひを尋むる
あゝ、よろこびのつばくらめ。
黒と白との染分縞は
春の心の舞姿。

弥生来にけり、如月は
風もろともに、けふ去りぬ。
栗鼠の毛衣脱捨てて、
綾子羽ぶたえ今様に、
春の川瀬をかちわたり、
しなだるる枝の森わけて、
舞ひつ、歌いつ、足速の
恋慕の人ぞ群れ遊ぶ。
岡につむ花、菫ぐさ、
草は香りぬ、君ゆえに、
素足の「春」の君ゆえに。

--- あと省略 ---


   落葉            ポオル・ヴェルレエヌ
                  訳詩:上 田   敏

秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。

鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。

げにわれは
うらぶれて
ここかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。


   山のあなたに          カアル・ブッセ
                      訳詩:上田 敏

山のあなたの空遠く
「幸」住むと人のいふ。
噫、われひとと尋めゆきて、
涙さしぐみかえりきぬ。
山のあなたのなほ遠く
「幸」住むと人のいふ。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「落葉」、「山のあなたに」 あまりに有名な詩ですね。「燕」は上田敏の
詩集「海潮音」の冒頭を飾るので外国詩に興味のあった方ならご存知
でしょう。「落葉」、「山のあなたは」、国語あるいは外国語の教科書に
載っていたりして、原語で読んだ方も多数あると思います。「燕」につい
ては私の場合は長兄が口ずさんでいたのを幼心に聞いて、最初のフ
レーズだけですが、おぼろげながら覚えていました。

日本文学全集93末尾にある河盛好蔵氏の解説によれば、「海潮音」は
明治38年(1905年)10月に東京の本郷書院から刊行されました。彼は
新しい日本詩文の創造を志した結果、日本語による未だ曾てなき芸術
品を製作し、以って清新の美を創成しました。日本の新體詩の完成に
努力したのですね。彼の翻訳詩は主としてフランス象徴派の翻訳であ
ったらしいのですが、「海潮音」の刊行を機としてわが国の詩壇に象徴
詩の制作が大いに興ったといいます。

参考文献:現代日本文学全集93 「現代訳詩集」上田 敏 「海潮音」

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2004.05.22

青春/サムエル・ウルマン 

   靑 春
                       作詩:サムエル ウルマン
                       譯詩: 伊 東  司 郞

 靑春は若い時の一駒ではない
 靑春とは心の躍動を言うのだ
 彊靭な意志
 豊かな想像力
 激しい情熱
 臆病に打ち勝つ果敢な勇氣
 安易に就かない旺盛な冒險心
 
 年齡を重ねただけで人は老いない
 理想を捨て去るが故に老いるのだ
 年月は皮膚に皺を刻むが
 情熱の喪失は魂に皺を刻む
 苦腦、疑惑、
 自己不信、
 恐怖、自棄
 こう言うものが
 長い時間の經過とともに
 頭腦を腐らせ
 精神を塵に歸せしめるのだ
 
 十六才であろうと
 七十才であろうと
 人の心には
 不可思議への探究心
 星や星のように煌めくものへの
 驚異と憧憬、研究心がある
 何事にも怯まず取り組む勇氣
 子供のように飽くことのない好奇心
 生きる歡びとゲ―ムの樂しみがある

 人は
 信念と共に若く
 疑惑と共に老ける
 自信と共に若く
 恐怖と共に老ける
 希望と共に若く
 失望と共に老ける

 大地から
 地上の人間から
 また永遠の宇宙から
 美しいもの
 嬉しいもの
 勇氣づけるもの
 莊嚴なもの
 はたまた、靈力のメッセ―ジを
 受け止める心がある限り
 君は若い

 君の受信裝置がさびついて
 心の中樞部がすべて
 悲觀の雪と
 皮肉の氷に
 閉ざされる時
 君は完全に老けるのだ

 おお神よ!
 その時こそ
 人の御魂に憐れみを垂れたまへ!

 (「人生80才の高嶺」から-- 原文)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
青春の原文(英語)

私の訳詩の原文は下記の通りです。訳詩は1987年、私の56歳の誕生
日ですが、その後2,3回手を加えました。従来の名訳はすでに紹介さ
れていますが、これは昭和の口語訳と自認するものです。ご批判を賜
れば幸いです。


    How to stay young          by Samuel Urman

Youth is not a time of life.....It is a state of mind, it is a temper
of the will, a quality of the imagination, a vigor of the emotions.
a predominance of courage over timidity, of the appetite for
adventure over love of ease.

Nobody grows old by merely living a number of years; people
grow old only by deserting their ideals. Years wrinkle the skin,
but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, doubt, self-
distrust, faer and dispair - - - these are the long, long years
that bow the head and turn the growing spirit back to dust.

Whether seventy or sixteen ,there is in every being's heart
the love of wonder, the sweet amazement at the stars and the
starlike things and thoughts, the undaunted challenge of events,
the unfilling child-like appetite for what next, and the joy and
the game of life.

You are

as young as your faith, as old as yourdoubt;
as young as your self-confidence. as old as your fear;
as young as hope, as old as your despair.

So long as your heart recieves messages of beauty, cheer,
courage, grandeur and power from the earth, from man and from
the infinite, so long you are young.

When the wires are all down and all the centaral place of your
heart is covered with the snows of pessimism and the ice of
cynicism. then you are grown old indeed and may God have
mercy on your soul.

(from "From the summit of years-four score")

Given to MacArthur some years ago by Jhon W,Lewis. It is based
on a poem written by the late Samuel Ullman of Birmingham, Ala.

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